200506

9時前に起きた。もう長いことニート生活をしていると、この時間が早起きなのか遅起きなのか分からなくなる。わたしは早起きだと思う。自分の部屋から1階のリビングに降りてソファーに座りなんとなく携帯を触る。昨日から何も変化がなかったのに、同じアプリを開いては閉じて、また開いて更新されていないことを再確認して閉じたりを繰り返した。

母が服を売り出しに行くというので、顔を洗って化粧をすることにした。45リットルのビニール袋2つ分の服と鞄が詰め込まれていた。前回売り出して170円しかもらえなかった帰り道、もうあそこでは売らないと嘆いていたのは誰だったのだろうか。薄く化粧をして、でもコンタクトは付けづメガネのまま出ることにした。行く途中、母の運転する車の信号待ちでいきなり通り雨のようなものが降ってきた。車窓の外で、横断歩道を渡る人たちは持っていた折りたたみ傘を開く間もなく、それを片手に渡り終えた先のコンビニまで駆け込んでいった。信号が青になり、車が動き、そこから2、3分先の地はすっかり乾いていた。空に住んでいる誰かのいたずらで、あの場所だけに雲がかかり雨を降らせてるみたいだった。なぜか秦さんのRainが急に聴きたくなり、携帯のスピーカーから流した。ノースフェイスのリュックは最後まで手放すか悩んでいたが、内側の汚れがひどく、売ることにした。外見はとてもタイプだったので惜しんでいると、長年使わずに置いておいたから劣化が進んだと母が言った。もったいないなと思った。使い続けたら、もしくは手入れをきちんとしていたら今でも使えたのだろうか。結局、そのリュックだけが良い値をつけられ、1500円ほどもらえたらしい。手入れをし直したら復活するのだろうか。

家でほとんどの時間を過ごすゴールデンウィークは暇で、掃除、整理、模様替えをしていた。そのついでに今日は、もう15年ぐらい上っていない屋根裏部屋を覗いてみることにした。幼い頃は、小さな窓から差し込む柔らかい光が包み込むようなツリーハウスのような隠れ家的空間がとても心地よくて、よくそこで遊んでいた。その部屋は大人になった今でも変わらない空気が漂っていたが、久しぶりに上がってみるとかがまないと歩けなかった。ほとんど物は置いてなかったが、保育園の頃に飼ってたハムスターのケースと折りたたまれたベビーカーと何も乗っていないシルバーラックが置いてあった。もったいないので、今度の週末に使える空間にしようと母と約束した。あまりにもその部屋だけ行っていなかったので、少し考えていた「誰かが住んでるかもしれない説」もついでに晴れたのでひと安心だ。

今日の用事を終え、夕方になり、ポストをみに行くとAge Factoryの新しいCDが届いていた。我慢できずサブスクでもう聴いていたけど、好きなバンドの音楽が形として手元に残るのはいつでも素敵なことだと思う。Merry go roundのメロディーや雰囲気、歌詞などその全部が最高すぎる。このバンドは、2,3年前にラジオで流れた十月十三日という曲を聴いて衝撃を受けたのが出会いだ。それから半年ぐらい後に三宮にある太陽と虎という高架下のライブハウスで、目当てのバンドの対バンとして出ていた彼らを生で見てその魅力に引き寄せられた。Age Factoryの音楽や発信される言葉達には、彼らについていくと間違いないという自信に手を引かれる感覚や衝動のようなものが湧いてくるから不思議だ。今回のアルバムでも同じ感覚になったが、今までとは違う新しい魅力が詰まっているように感じてドキドキした。かっこいいから聴いてみてと一言に確信をもって周りに勧めたくなった。

ゴールデンウィークは今日で終わるが、私の生活はまだ現状維持だ。何も変わらない日常が続くが、毎日つけている日記の内容は少しづつ違う。明日は何が待っているだろう、何をしよう。

 

200504

1階で母が物音を立てていたせいか、早くに目が覚めた。いつもならそこで寝返りを打ち目を閉じるのだが、今日はそのまま起床した。昨日買った本を読むのが楽しみだった。下に降りていくと母はキッチンの整理をしていた。顔を洗い歯を磨き、わたし用のひとり掛けの水色のソファーに沈み込み本を読み始めた。時々母に呼ばれて手伝ったりしたが、読み始めてすぐ物語に引き付けられた。

流浪の月という凪良ゆうさんの作品で、今年の本屋大賞受賞作品らしい。店頭で紹介されていたのを見てすぐに読みたくなっていた。今日はご飯やシャワー以外の時間、ずっとこの本を読んでいた。いつもは母と1階の部屋で寝る前までテレビを見て過ごすのだが、今日は早めに自分の部屋に戻り、布団の横のライトだけをつけて残り少なくなったページをめくり続けた。

今夜は暑い。窓を開け、布団から足を投げ出し、枕を引き寄せてうつぶせで読んでいた。スタンドライトから漏れる灯が紙の上に七色の透明の光を映す。ページをめくるごとに違う角度や濃さで手に取れない宝石のように揺らめいていた。最後の1文を読み終えた後、また5行ほど戻り読み返し、それを数回繰り返して本をたたんだ。片腕を枕に顔を乗せて目を閉じ、しばらく余韻のようなものに浸っていた。

私たちはいつも、自分勝手に事実と真実を一色単にひっくるめて考えてしまう。しかしそこでは本人たちの気持ちがまるで無視されているということに気づかされた。例えばニュースで読み上げられる事実。その被害者と加害者。本当に被害を受けたと言ったのか。害を加えたのか。事実の点と点をつなげてまっすぐ綺麗に描けたとしても、本人たちが抱えている見えない点を繋いでいくとまた別の真実が埋もれているかもしれない。それなのに世間はニュースなどで知った事実だけで同情や焦燥を抱いたりする。ネット社会が定着している今、その限りある情報で得た正義という名の偏見はスルスルと親指ひとつで何十倍にも膨らませて振りかざされる。私が美しいと思っているものに対して誰もが一緒に心を動かしてくれるわけではない。今見えているものがすべてではないからだ。見えているもの以上に感じるもの、託している思いや思い出、すべてが複雑に絡まり合って魅せられたりするのではないかと感じた。

200429

実家には、大きめの丸テーブルを囲むようにしてふたり掛けでゆったり座れるソファーとひとり掛けのソファーが置いてあるスペースがある。そのテーブルの上には2台のノートパソコンがあり、それぞれ母と私のものだ。玄関からすぐの部屋で、奥に進むとキッチンがある。昔このテーブルはキッチンに置いてあった気もするが、いつの間にかこっちの部屋に移動してきている。母とは学生の頃よく美術展へ行ったりしていた。母は美術展へ行くたびに、最後のグッズコーナーでポストカードやポスターを必ず購入する。それらのポスターが、額に入りこの部屋のいたるところに飾ってある。「テオフィル・アレクサンドル・スタンラン/チョコレートとお茶のフランス商会」と下の方に書いてある絵が一番のお気に入りだ。その絵では、テーブルの上の猫が目の前に座っている女の子が飲んでいる(おそらく)ホットチョコレートを狙っていて、その子はそれをとられないように守っていて、その横で真っ赤な服を着ているお母さんらしき鼻の高い黒髪の夫人がその子を愛おしそうに眺めている。この絵は、小さい頃からあって、昔はこの赤い服の女の人が怖かったのを覚えているが、今は妙に気に入っている。それからこの部屋には母の淡い水色の本棚やCDがぎっしり詰まっている棚、扉付きで腰ぐらいの高さの深い茶色の棚もある。それも昔からあるもので、最近になってたまに母のセンスを感じるときがある。

この部屋で今夜は母と映画を見ることにした。オレンジ色の小さい明りにして、母は専用のふたり掛けのソファーで横になり、私はひとり掛けのソファーを母の方に寄せて座った。Amazonプライムビデオの中から、是枝監督の「歩いても歩いても」という映画を選んだ。母も私も好きな映画監督で、映画館で「万引き家族」や「奇跡」を見に行ったこともあった。家族という一番近い関係をテーマにされていて、見終えた後はいつも大切にすべき人を大切にできているか思い直したりして感傷的な気持ちになる。

この映画も是枝さんの他の作品と通ずるところがあった。親戚が集まった家の中のシーンはデジャブかと思うぐらいだった。落ち着きなくせかせかと多すぎる料理を作り続けるおばあちゃんと、手伝うと見せかけてつまみ食いをする子どもたち。それとは裏腹に、デーンと座り続けるおじいちゃん。物置と化している部屋。どこでそんなに保管していたのかと思う昔の写真達。どこにでもある家族の風景があって、でもその隅っこの方に空虚感、喪失感のようなものを感じた。何かをきっかけに崩れかねない緊張感もあり、家族という特殊な関係にしかない距離やその間の空気が作品の中で静かに描かれていた。家族だからこそ張ってしまう意地や見栄なども思い当たる節がある。

今回、阿部寛さんと樹木希林さんが親子役だったが、以前見た是枝さんの他の作品で「海よりもまだ深く」という映画でも親子役で出演されていて、この組み合わせは間違いないと確信した。それから、樹木希林さんという素敵な人を亡くしたことはこんなにも大きかったんだと改めて感じたし、代わりになる人もいないなと思った。

エンドロールが流れる最後まで文字を追うわけでもなく、ただ呆然と画面を見終えた後、歯磨きをした。あまり感想などを言い合ったりはしていないが、母の印象に残ったシーンがどこなのかが少し気になる。

200426

3カ月ぐらいデートをしていない。今週末も彼の家でゴロゴロして過ごした。

遅めの起床。今日はいちだんと晴れている。窓を開け、気持ちの良い風とあったかい光を迎え入れた。洗濯機のスイッチを押し、顔を洗い、昨晩の残りを温め直した。

朝昼兼用のご飯は、餃子と卵かけご飯とお味噌汁。冷蔵庫の中で餃子にいったい何があったのか。昨晩の元気なパリパリジューシー餃子はまるで別ものだった。まあこれはこれで美味しいからいいやと一人頭の中で無駄なことを考えていた。彼も黙って食べていたが、頭の中では同じ話をしていたかもしれない。ゆっくりと食べ終え、お茶碗を洗った。その間、とうに食べ終えていた彼は携帯を横に向けて両手の親指をピコピコさせていた。彼をまたいでキッチンに行く時にチラッと見るとサッカーのゲームをしていた。わたしがお茶碗を洗い終え化粧をしている間に、試合に勝ったのか負けたのか、それとも中断したのか、洗濯物を干していた。干されている洗濯物はすがすがしい顔をして風にのって踊っていた。勝ったのか?関係ないか。干し終えた彼はベッドに横たわり、また同じゲームをしていた。やはり中断していたのか?新しい試合か?化粧が終わり彼の隣に同じように横たわり、携帯でNETFLIXを見ることにした。彼は私の仕上がった顔を見て少し微笑んだ。私のすっぴんをどう思っていたんだ。今さら思っても仕方がないので、人志松本のすべらない話のエピソードをてきとうに選び、再生した。しばらく見ていたが、横から聞こえる寝息と春の陽気と風のせいで、いつの間にか眠りについていた。

彼にゆすり起こされ、散歩に行こと言われた。気づくと2時半だった。外は相変わらず晴れていて、嬉しくなり、行こ!とつい大きな声が出た。こんな日でもマスクを付けないといけなかった。人が多いところを避けて歩いた。商店街や車が通る道の2本ぐらい離れた細い道。コロナ無くなったらここ行こなとか、えここなんの店?とか、あのシャボン玉でっかとか、うわめっちゃ虫いるわとか、そんなてきとうな話をしながら歩いた。ちょっと先の方歩いたりゆっくり歩いたり手をつないで歩いたり。最後に、一番近所のパン屋さんに寄った。先週、現金しかあかんと言われて逃したタルトを2個買った。

家に帰り、手洗いうがいをして、コーヒーを2杯淹れた。もう夜ご飯を作る時間だったが、疲れと空腹と誘惑に負けて、相談した結果、タルトを食べることに意見が一致した。彼に(マンゴーかと思った)黄桃のタルトとミルク砂糖入りのコーヒーを。わたしは苺のタルトとコーヒー。映画館で上映していたときから見たかった、wonder君は太陽という映画を見ながら食べた。最初はゲームをしながら見ていた彼も、主人公の少年の成長に見入っていた。わたしがトイレに行くタイミングで一時停止し、それを区切りにして夜ご飯を作ることにした。彼が肉じゃがを作ってくれた。その肉じゃがと白ご飯とハンバーグを温めて食べた。このハンバーグは、わたしの祖母が2週間ほど前に冷凍していつでも食べれるからと持たせてくれてたものだ。レモンチューハイを2つのグラスに注ぎ、映画を再生し、手を合わせた。彼はしきりに主人公の少年の姉が美人だと呟いていた。その通りだったので流していたが、何回も呟いていたし、わざと聞こえるように言っていたので、あれは喧嘩を売られていたのかもしれない。一度だけ顔を覗いてそうよなぁ?わかるで?とわたしが言ったとき、彼は言ってやったみたいな顔をしていたのでほぼ確信犯だと思う。

ヒューマンドラマ系の映画に弱い。今まで関わったことがないようなタイプの人やモノ、事に対して最初一線を引いてしまうが、よく見てみると自分がもっていない魅力や新しい発見に出会えることがある。誰にでも何にでも大小関係なしに二面性があることは確かで、だからこそ争いも起こるけど、悪い所ばかり見ていてはつまらないなと思った。つまり、この映画に感動したし、みんなに勧めて回りたい。2缶目のみかんチューハイを開けながら余韻に浸っていた。彼は5分ほどの余韻に浸る時間を与えてくれた後に、本日2本目の映画を再生した。天使がくれた時間という映画で、クリスマスも役員を集めて仕事をしようとするバリバリのニューヨークで働くサラリーマンが、イブの夜に学生の頃に仕事を選び別れた恋人の夢を見た。もしその恋を選んでいたら今頃どんな生活を送っていたかという夢だった。ロマンチックな映画だった。こんなにリアルじゃないけど、誰もが、もしあの時違う選択をしていたらというのはふとした時に考えることだと思う。目が覚めた主人公の男の人がどんな行動をとったのか、この映画で一番ロマンチックだったのでこれも勧めて回りたい映画だ。

今週も先週と同じような過ごし方をしたし、コロナのせいと節約しているせいでしばらくデートもできてないが、来週末を楽しみに家路についた。みかんチューハイは果汁1パーセントのわざとらしい作られた味がしたけど、また飲みたくなるような妙な癖があった。音楽を聴こうと曲を探していると「気をつけて帰りや」というLINEがちょうど来た。コンビニと外灯と携帯の画面だけが明るくて眩しかった。

200421

もう少し早く起きる予定だったが、11時に目が覚めた。眼鏡をかけてお茶を飲み、リビングに行くと、在宅ワークを始めた母がパソコンに向かって難しい顔をしていた。考え事をしているというよりも、目が悪い人の顔だった。おはようと言われたが、寝起きのテンションだったので軽く手をあげて返事した。それから洗面所に行き顔を洗った。母にご飯は食べたか聞くと、まだだと言いチーズトーストとカボチャのスープを出してくれた。大食い番組を見ながら食べていたので1口が自然と大きくなっていて、気づくとトーストが自分のお皿からも母のお皿からも消えていた。

お皿を洗って歯を磨いて、洗濯物を干したりギターを練習したりした。洗濯物からは柔軟剤のいい匂いがする。母との生活を始めてから、洗濯物やお風呂上がりやキッチンから漂う匂いが変わった。

中学の頃から実家から徒歩5分の所にある祖父母の家で生活していた。しかし最近になってまた実家での生活に戻った。2週間ほどたった。それでも夜ご飯は祖父母の家で食べることになっているので、毎日4時ごろに祖父母宅へ行き、夜ご飯の準備を手伝っている。生まれてから、記憶にある中でほとんどの生活を祖父母宅で過ごしてきたのに、最近が一番会話をしている気がする。

そんなことを考えながらしばらく日記を見返していた。それからブログを更新した。途中で携帯を触っていると、昨晩ツイッターカエラちゃんの「リルラリルハ」弾き語り動画があがっていたのを発見した。最近楽しみの#うたつなぎで回っていたものだった。懐かしすぎる名曲だったので全部聞いてから、すぐにApple Musicでダウンロードした。

もうすぐ4時だったので母とスーパーへ買い出しに行き、祖父母宅でチンジャオロースを作った。昨日作るはずだったが、祖母にチンジャオロースの具材を確認したところ「タケノコなんてない」と言われ断念していた。祖父母の口に合うか不安だったが、気に入ってたくさん食べてくれた。しばらくテレビを見てから、ゆっくりお風呂に入って帰った。

200417

2年前の1月から、月に1回集まってお酒を飲む会がある。メンバーは、小学校の頃からの幼馴染のぐちゃん(男)と、中学校の頃から仲良しのしーちゃん(女)だ。

いつもの居酒屋”楽”で開かれることが多く、ツキイチカイサイというグループLINEで「楽?」や「今日やんな?」と合言葉のような突然の収集がかかる。だいたいはのぐちゃんからの収集で、当日の夜にいきなりLINEが来る。1回だけ、私としーちゃんどっちもすっぴんの時があった。断ったが、結局女2人にその日2回目の化粧をさせてその月の飲み会が開催されたことがあった。のぐちゃんは人懐っこさが売りなので、それに負けてしまうことが多々ある。”楽”という居酒屋は、沖縄料理のお店で、いつも仲のいい夫婦2人が「いらっしゃい」と迎えてくれる。それぞれの家から5~10分の所にあるというのもあるが、ほぼ毎月の集合場所に選ぶ一番の理由はゴーヤチャンプルがおいしすぎる点にある。しーちゃんが彼氏と沖縄旅行に行って帰ってきた月に開催されたツキイチカイサイでゴーヤチャンプルを食べながら、「やっぱ楽のゴーヤチャンプルが一番おいしいわ」と言っていた。私たちが毎回ゴーヤチャンプルを頼むので、嬉しそうに「今日もゴーヤチャンプル?」と聞いてくれるママが可愛い。大学卒業祝いや、彼氏彼女が出来た祝い、就職先が決まった祝い、就職祝い、失恋見舞い、(のぐちゃんが骨折したときに)退院祝いなど、事あるごとに1杯サービスしてくれる優しいマスター。とても居心地よくて、いつもありがとうございますと伝えると、私たち(常連の中ではとても若い)3人が毎月集まってくれるのが嬉しいと言ってくれる。

しかし、のぐちゃんが今月の4月から仕事の関係で遠くに行ってしまうのでツキイチカイサイは2年3ヶ月をもって途切れてしまうことになった。とても寂しいが、のぐちゃん帰省のたびに会おうと言って3月20日に最後のツキイチカイサイを終えた。そのはずだったが、3月29日の夜にまた突然のぐちゃんの収集が入った。平日で、次の日仕事だったしーちゃんは参加できず、ニートの私が「1時間だけな」と言ってまんまと乗っかることになった。私が先にお店について、ママにカウンターの席へ案内され座った。しばらくするとのぐちゃんが来た。お互いの恋愛事情や最近どうなんというような他愛無い話をした。それでも、よく話してくれるしーちゃんがいないと静かだ。話が落ち着いてきたところで、ママが話しかけてくれた。のぐちゃんが次の次の日に地元を離れることや、私たちが集まってくれて本当に嬉しいということを、常連の”梅ちゃん”という、3席ぐらい離れたところに座っていたおじさんに伝えながら。それから、ママが「まだ飲める?」「一緒に飲みたい」と言ってワインを1瓶開けてくれた。大好きな赤ワイン。おつまみのチーズとナッツをくれて、私とのぐちゃんとママとマスターと梅ちゃんで乾杯をした。その日初めて話したおじさんとお店の夫婦と幼馴染と同じワインを飲みながら、私たちが知っている限界の昔の歌手やアニメ・漫画、テレビ番組の話で盛り上がった。結局2瓶開けた。最後はママとマスターとのぐちゃんと写真を撮った。梅ちゃんが撮ってくれた。長く押し過ぎたみたいで連写された。カシャカシャカシャカシャカシャカシャという音にみんなで笑いながら、これしーちゃんやきもち焼くなあと思った。こんないい日、しーちゃんにも来てほしかった。

日付がとうにまたがった時間に店を出て、5分歩いて私の家に着き、まだ引っ越しの準備ができていないというのぐちゃんとバイバイした。

それから1週間経ち、新型コロナの感染がとうとう深刻な状態になり、自粛ムードが強くなった。わたし自身、東京から帰ってきた親友とのさし飲みもやめたし、必要最低限家から出ないようにするようになった。日本全体で自粛ムードが漂う中、オンライン飲みというのが流行っていた。正直、味気ないと思っていた。

4月17日23時頃、ツキイチカイサイLINEにのぐちゃんがURLを送り付けてきた。いつものように寝床につき、携帯でドラマを1本見て寝ようと思っていたところだった。LINEを開いてみると、オンライン飲みの誘いだった。まんまとZoomのアプリをダウンロードし、収集に乗った。冷蔵庫にあった、まるのワンカップとレモンサワー1缶と柿ピーわさび味を急いで取りに行った。部屋着ですっぴんのしーちゃんと、のぐちゃん。久しぶりな感じはしなかったものの、状況が激しく変化している中でいつもの雰囲気とトーンでする会話が懐かしく感じた。気づくとお酒もなくなり、2時半まで話していた。話していたといっても他愛無い、いつもの会話だ。

味気ないと思っていたオンライン飲み流行のおかげで、ツキイチカイサイ27回目が開催された。

それから歯を磨いて、すぐに寝た。

200416

昨日の夕飯後、母がランニングに誘ってきた。

緊急事態宣言のおかげで自宅待機中の引きこもりの私をみかねてなのか、ぽよんぽよんのお腹をやっと気にしだしたのか。どっちにしろ、久々に気持ちのいい汗をかいた。マスクをしながらだったので少し苦しかった。コンビニに寄り、母がお茶を買おうといってきたので「何茶?」と聞くと、数あるお茶の種類の中から「ジャスミンティー」と言った。今晩はランニングじゃなくて早歩きにするらしい。

ゆっくり歩きながら帰宅し、ゆっくりしてからシャワーをした。髪の毛を乾かしていると彼氏から電話が来た。

カルティエ調べたで」と言われた。最初理解できず、「なんで調べたん?ブランドのカルティエ?」と聞いた。私の知っているカルティエ以外に、なにか違うカルティエを知っているのかもしれないと思った。しかし、あのカルティエのことだった。話を聞いていると、私が冗談で「カルティエの時計買って」と2週間は前に言ったのを思い出した。たしかあの時、食い気味で「嫌や」と言われたし「カルティエって何」とも言われた。それで笑って終わったような何もない話で、しかも2週間以上も前のことなのに覚えてくれていたことが愛おしかった。調べた瞬間、出てきた金額を見てびっくりしていたことを考えると、冗談で言った申し訳なさよりも可愛さが上回り、しばらく笑いが止まらなかった。6月に控えている私の誕生日に向けて、私の欲しいものを考えてくれていることを知った。そういえば前会った時も「食べ物の中で何が一番好き」と、この機に及んで珍しいことを聞かれたのも思い出した。24歳になる誕生日が楽しみになってきた。高価なプレゼントよりも、私のことを思って選んでくれる時間が嬉しい。

朝起きてメールを確認すると、14日の深夜に届いていた未読のものを見つけた。どうしても伝えたかったという、嬉しい言葉が並んでいた。パンをコーヒーで流しすぐに返事したが、書き始めてから送信まで30分はかかった。キャリアも社会人としても未熟な私の熱意を信じ、気遣ってくれる人がいたということに感動した。自己満足でもなんでも、夢中で頑張ったと言えることには胸を張っていこうと思った。評価や結果がもらえなかったとしても、誰かにはその誠意は伝わっていることを教えてもらえた。この1通のメールに勇気をもらえたことは確かで、これが将来の私を支えてくれるかもしれない。それ以上に、このような言葉を送れる大人になりたいとも思った。

さっきから、斉藤和義の曲だけで作ったプレイリストをApple Musicで流している。deja vu → 月光 → 空に星が綺麗 の順番で曲が流れてきたが、このタイミングでの空に星が綺麗は手を止めて聴き入らずにはいられない。

先週見た『火花』のドラマの余韻がまだ残ってるみたいだ。

昨日から気分がいい。じっくり時間をかけて読んでいた又吉さんの『人間』を読み終えたので、今日から新しい小説を読み始めようと思う。『まく子』という、大好きな西加奈子さんの本。

和義さんから英語の曲に切り替える。