200525

気づけば春がはじまり、鴨川沿いに立ち並ぶ満開の桜を見ないまま、いつの間にか季節が変わっていた。春の陽気ではなく明らかに夏の日差しを感じ始めたのは最近だと思う。

その間に新卒で入社した会社を辞め、転職して、初出勤の数日後から2カ月弱の休暇が始まった。

世界中で流行が広まった、死の危機まで及ぼす影響力のある疫病のせいだ。テレビでは、一日も欠かさずに感染状況のニュースが流れはじめた。初期の頃、その日に感染した人の職場や行動経路が報道されていた。スマートフォンなどのアプリでは、どこで感染者がでたか、日本地図上に赤く印され、確認ができた。ある大学では、飲み会での集団感染が発覚し、その大学の教授の子供がいじめられたりしていると聞いたこともある。医療関係者の子供がいじめられているとも聞いたことがある。理不尽すぎる。県外ナンバーの車に石を投ることを正義とする人、それを恐れてナンバーを変更する人々で混雑する役所。もしも自分が感染したら、しんどい思いをするのも嫌だけど、周りからの目、愛する人たちへうつしてしまったとき、そっちの方が恐怖である。最初は遠いと感じていたものが、ものすごいスピードで日本全国を侵食していた。感染者が多くなっていくと、その日の感染者数が一日の終わりにまとめて発表された。治療方法や治療薬も明らかでない謎の疫病に対する恐怖、ストレスが世界を不穏な空気で覆っている。

今年の春は、自分の人生も、それを取り巻く世界も、大きく動いていた。

ニート生活中、外出自粛要請中の2カ月弱、テレビのニュースだけが外の世界を感じられる唯一の手段だった。大阪府知事の吉村さんが、毎日のように記者会見や朝夕の情報番組に出て同じ熱量で話されていた。正直、完全に収まるまで外に出ないようにしたらいいと思っていたし、疫病とうまく向き合いながら経済を動かさないといけない意味が分からなかった。ある日の情報番組で、景気による自殺者数の増減を話していた。自殺理由の1番は健康、2番目に多い理由は経済的なもので、リーマンショックの時もものすごく多くの方々が自殺で亡くなられた。感染症への恐怖もあるが、経済も命なのだ。話されていた言葉一つ一つが説得力のあるもので、終わりの見えない感染症流行の中で、これからの一歩一歩その先を安心して歩けるような気がした。

春の陽気が夏の日差しに変わったことは、会社に通えるようになった初日から感じ始めていた。それより前から夏は始まっていたのかもしれない。緊急事態宣言が、京都・大阪でも解除され、新しい生活がスタートすると思うと、感染への恐怖のひと回りもふた回りも大きな希望が胸の奥でうずうずしていた。それでも「気は緩ませず」らしい。