200710

つい先日、七夕だった。こんなぶっきらぼうで、他人行儀な言い方をしてしまうのは、七夕というものについて毎年の恒例行事のような、それにしても何をして過ごすイベントなのかいまいちピンと来ずにここまで生きてきたからだ。彦星という王子様?と織姫というお姫様?が年に一度会える日が7月7日に限定されていて、その特別な日に便乗して人間界の子供達が願い事をする日というとらえ方で間違ってはいないと思う。どうして笹の葉に願い事を書いたお札をくくりつけるのかは深く謎に包まれている。調べたことはない。

毎年この時期になるとお星さまの飾り付けが施された電車内に地元の子供達の願い事が吊り下げられている。仕事帰りに乗り換えたローカル電車にも色とりどりの短冊が吊る下がっていて、ボーッと眺めていたが、ボーッと眺める程度のポテンシャルでは読めない程度には空調機から吹く冷たい風のせいでグルングルンに回転し続けてた。なんとなくその激しく回り続けるカラフルな短冊を眺めながら、高校2年生の七夕を思い出した。

図書館に突如現れた笹の葉と短冊とペンと紐。それを見つけた私と友達のかほは悪巧みをした後に、その時偶然一緒にいなかったトミーを思い出した。「席替えでトミーと隣の席になれますように」という短冊を真ん中の前の方に吊るした。後日、トミーが物凄く照れて、誰のものなのか考え始めた頃にはもうバラシ辛くなっていた。トミーの初夏の青春をそっと私たち3人だけのものにしておくことにした。そうは言っても、ニヤけ顔が抑えられていたかは不安なところである。

高校時代というものは、なんでもできるという根拠もなければこれ以上掘り下げようもない自信のおかげで、時間が経ってもそのシーン一つひとつが輝いている。体育の授業の後は、友達とジャンケンして負けたらパックの苺ミルクを自販機まで人数分まとめて買いに行っていた矛盾だらけの習慣も懐かしい。火曜日の体育の授業の時の靴下は坂ちゃんのお土産の人面柄の靴下を他2人とお揃いで決めて履いていたのも懐かしい。国語の先生のあだ名はフェアリーで、地学の先生は大陸移動だった。科学の先生はよくみんなを屋上に連れ出してくれたし、中高一貫校だったので世界史の先生は中学生のことをまとめてサルと呼んでいた。暑がりの担任は一定の温度まで上がらないと動かない空調機のセンサーのところをあったかくしてズルしてつけていた。頬杖をついて寝ている友達を指摘した先生は、私たちがかばって言う、めっちゃ考えてはるんです!という言葉を信じてくれた。

だいぶ話が脱線したが、七夕といえばいつも高2の七夕が思い出される。今年の七夕の夜は雨が降っていたのかそれとも無事2人は出会えたのか、数日前のことすら思い出せない。帰り道にコンクリートと同化したカエルの死骸を踏まないように最寄りの無人駅から歩いて帰ったことだけ覚えている。昨日はでっかいカエルに襲われるかと思った。足元ばっかり気にして歩いてしまうこの時期は毎年好きになれない。