201225

今年は忘年会をも"自粛"しないといけない年に終わりそうだったが、社長の考案で社内でプチクリスマス会兼プチ忘年会をすることになった。そんな忘年会も、後半は2回り以上違う社長の恋バナで幕を閉じた。来年の抱負は彼女をつくる事らしく、60になってもそんなこと言ってたらどうする?と笑いながら聞かれて、それもそれで夢があるなと思ったし、直接声に出して言ったと思う。先輩が言っていた通り、今年はある意味新しかった。もちろん私にとって転職や一人暮らしを始め、身の回りの環境ががらりと変わった年だったこともあるが、そんなこと関係なくても世界はいつもとまるで違った。

帰り道にふと、大学の頃のあの人を思い出したりしている。彼とはクリスマスを、一緒に過ごしたことはなかった。今年はどんなクリスマスを過ごしてるんだろうか。美味しいものを誰かと食べて、ほっぺをピンクにしてたらいいなと思う。

200813

夏がくる。響きだけはとても良い。でも私は夏が嫌いだった。暑いし、肌が焼けて茶色くなるし、少し歩くだけでバテてしまう。こんな、マイナスなイメージしかなかったし、毎年必ず律儀にやってくる夏に飽き飽きしていた。

そんな私も、夏フェスというものに親友と初挑戦した大学4年生の思い出、それから去年に今の彼氏と付き合い始めた季節であること、彼氏が考えるデートプランの素晴らしさのおかげで、夏!にくっつくとても青くて眩しいイメージへ少しづつ魅力を感じ始めていた。童心に帰り夢中ではしゃいで汗をかくこと、友達の家でタコパをした後に夜中の公園でスイカの種を飛ばす競争をしたこと、そのスイカの種をスマホのライトで必死に探し回ったこと、野外フェスの夕暮れ時に疲れて芝生に座り込みおっきな赤い夕焼けを見ながらアジカンソラニンを聴いたこと、手汗をかきながらも手を繋いで歩いたこと。夏の思い出というものはやけにドキドキしてしまう。夏フェス最後のアーティストを背に夜行バスへ向かう道中なんて、夏が終わるぅーと少し涙まで出していた。周りの人から与えられる夏の楽しみ方は、どんどん自分のものになってきている。クーラーの効いた部屋の中で夏が過ぎるのを待つことは、勿体ないと思うようになってしまった。

今年の夏は、なんか物足りない。

コロナのせいで夏フェスは中止になった。ビアガーデンは仕事で間に合わなかった。彼氏をデートになかなか誘い出せないのも、わたしの楽しいと思うことと彼の楽しいことが一致していないからなのだと思う。

周りが与えてくれていた夏は、私ひとりだとなんでこうもつまらないものなのだろう。いっそのことひとりでどこか遠くへ旅行に行くのも良いのかもしれない。楽しみといえば、母と暮らすようになってから増えた母との時間だ。今日は朝からかき氷を食べに行ったし、週末は淡路島へ旅行に行く。多分、この淡路島旅行で今年の私の夏は終わる。例年通り、一番楽しみな季節を待つのみだ。味気なさを感じるのも、全力で楽しむのも、同じスピードで過ぎていくから容赦がないのか優しいのか訳が分からない。

来年の夏は好きかなあ。

200710

つい先日、七夕だった。こんなぶっきらぼうで、他人行儀な言い方をしてしまうのは、七夕というものについて毎年の恒例行事のような、それにしても何をして過ごすイベントなのかいまいちピンと来ずにここまで生きてきたからだ。彦星という王子様?と織姫というお姫様?が年に一度会える日が7月7日に限定されていて、その特別な日に便乗して人間界の子供達が願い事をする日というとらえ方で間違ってはいないと思う。どうして笹の葉に願い事を書いたお札をくくりつけるのかは深く謎に包まれている。調べたことはない。

毎年この時期になるとお星さまの飾り付けが施された電車内に地元の子供達の願い事が吊り下げられている。仕事帰りに乗り換えたローカル電車にも色とりどりの短冊が吊る下がっていて、ボーッと眺めていたが、ボーッと眺める程度のポテンシャルでは読めない程度には空調機から吹く冷たい風のせいでグルングルンに回転し続けてた。なんとなくその激しく回り続けるカラフルな短冊を眺めながら、高校2年生の七夕を思い出した。

図書館に突如現れた笹の葉と短冊とペンと紐。それを見つけた私と友達のかほは悪巧みをした後に、その時偶然一緒にいなかったトミーを思い出した。「席替えでトミーと隣の席になれますように」という短冊を真ん中の前の方に吊るした。後日、トミーが物凄く照れて、誰のものなのか考え始めた頃にはもうバラシ辛くなっていた。トミーの初夏の青春をそっと私たち3人だけのものにしておくことにした。そうは言っても、ニヤけ顔が抑えられていたかは不安なところである。

高校時代というものは、なんでもできるという根拠もなければこれ以上掘り下げようもない自信のおかげで、時間が経ってもそのシーン一つひとつが輝いている。体育の授業の後は、友達とジャンケンして負けたらパックの苺ミルクを自販機まで人数分まとめて買いに行っていた矛盾だらけの習慣も懐かしい。火曜日の体育の授業の時の靴下は坂ちゃんのお土産の人面柄の靴下を他2人とお揃いで決めて履いていたのも懐かしい。国語の先生のあだ名はフェアリーで、地学の先生は大陸移動だった。科学の先生はよくみんなを屋上に連れ出してくれたし、中高一貫校だったので世界史の先生は中学生のことをまとめてサルと呼んでいた。暑がりの担任は一定の温度まで上がらないと動かない空調機のセンサーのところをあったかくしてズルしてつけていた。頬杖をついて寝ている友達を指摘した先生は、私たちがかばって言う、めっちゃ考えてはるんです!という言葉を信じてくれた。

だいぶ話が脱線したが、七夕といえばいつも高2の七夕が思い出される。今年の七夕の夜は雨が降っていたのかそれとも無事2人は出会えたのか、数日前のことすら思い出せない。帰り道にコンクリートと同化したカエルの死骸を踏まないように最寄りの無人駅から歩いて帰ったことだけ覚えている。昨日はでっかいカエルに襲われるかと思った。足元ばっかり気にして歩いてしまうこの時期は毎年好きになれない。

200612

家を出て、マンションと田んぼの間の道を歩いていてバス停に向かっていた。カエルが汚い声でグェグェ、ゲコゲコと競い合っている。互いのナワバリを取り合ったりでもしてるのだろうか。狭いT字路の交差点を左に曲がると両側を田んぼに挟まれた道になる。曲がるとき、中学生の2人組の男の子たちが下校中なのか、右側から歩いてきていた。それぞれの傘でコンクリートの地面をつつく音が、私の少し後ろでカツンカツンと交互に続いてきた。カツンカツンにかぶさるように、声変りをした男子中学生の会話が聞こえた。「なあ、女子の下着スケスケなん知ってる?今度後ろになった時見てみぃ」「え、知ってんで!」「美術の時〇〇(多分同じクラスの男の子の名前)めっちゃ見てたで」「きっしょ!」母校の制服を着た中学生男子2人が下校中にする会話というものは、こういうものなのか。微笑ましく聞かせてもらったが、近所に住む小6従弟と中2従妹からは聞きたくない会話である。あんなに目も鼻も口も手も足も小さくて可愛かったあの子たちも、どんどん成長していくのか、、と複雑な気持ちになった。そういえば、あの中学生男子2人、私が少し前を歩いていたというのに、"下校中の会話"を止めなかったのは、彼らにとって私がただの近所の知らないおばさんだったからなのだろう。

今日はやっとフィルムカメラを現像しに行った。どんな写真を撮ったのか、現像する頃には全く忘れている。28枚中、1枚は鞄の中をフラッシュ付きで撮っていた。3つの季節に渡っていたことに驚いた。冬は、博多駅のホームにあったはかたラーメンや、散歩中店前ののぼりにつられて食べたロイヤルホストの苺パフェ、唯一見れた積雪、パナップブドウ味のツリ目気味なスマイルマーク。天気の悪い日に近所の川沿いで撮った桜。先週撮った真顔仁王立ちのポージングを頑なに崩さない彼氏の写真。

京都市内でも寒いと言われる地元で、この前の冬、私は1度しか雪景色を見ていない。しんしんと大粒の雪が降りだすと、田舎の景色がより一層静かになったように感じる。空も真っ白になり、家の屋根も塀も秋に収穫を終えた田んぼの上や畑の上も全て新雪に覆われる。冬の朝、ようやく雪が降り積もっていたので嬉しくなり、部屋からフィルムカメラを持ってきてじいちゃんとばあちゃんの寝室の窓から1枚撮ったのを思い出した。一番見渡しの良い景色が見える窓から。すぐ下の荒れ地もいちめんを雪が覆っている。私の小さい頃に田んぼだったこの荒れ地は、整えられて近々家が建つらしいので、この部屋の景色も今年で見納めだ。f:id:hrmyk:20200613160801j:image

200525

気づけば春がはじまり、鴨川沿いに立ち並ぶ満開の桜を見ないまま、いつの間にか季節が変わっていた。春の陽気ではなく明らかに夏の日差しを感じ始めたのは最近だと思う。

その間に新卒で入社した会社を辞め、転職して、初出勤の数日後から2カ月弱の休暇が始まった。

世界中で流行が広まった、死の危機まで及ぼす影響力のある疫病のせいだ。テレビでは、一日も欠かさずに感染状況のニュースが流れはじめた。初期の頃、その日に感染した人の職場や行動経路が報道されていた。スマートフォンなどのアプリでは、どこで感染者がでたか、日本地図上に赤く印され、確認ができた。ある大学では、飲み会での集団感染が発覚し、その大学の教授の子供がいじめられたりしていると聞いたこともある。医療関係者の子供がいじめられているとも聞いたことがある。理不尽すぎる。県外ナンバーの車に石を投ることを正義とする人、それを恐れてナンバーを変更する人々で混雑する役所。もしも自分が感染したら、しんどい思いをするのも嫌だけど、周りからの目、愛する人たちへうつしてしまったとき、そっちの方が恐怖である。最初は遠いと感じていたものが、ものすごいスピードで日本全国を侵食していた。感染者が多くなっていくと、その日の感染者数が一日の終わりにまとめて発表された。治療方法や治療薬も明らかでない謎の疫病に対する恐怖、ストレスが世界を不穏な空気で覆っている。

今年の春は、自分の人生も、それを取り巻く世界も、大きく動いていた。

ニート生活中、外出自粛要請中の2カ月弱、テレビのニュースだけが外の世界を感じられる唯一の手段だった。大阪府知事の吉村さんが、毎日のように記者会見や朝夕の情報番組に出て同じ熱量で話されていた。正直、完全に収まるまで外に出ないようにしたらいいと思っていたし、疫病とうまく向き合いながら経済を動かさないといけない意味が分からなかった。ある日の情報番組で、景気による自殺者数の増減を話していた。自殺理由の1番は健康、2番目に多い理由は経済的なもので、リーマンショックの時もものすごく多くの方々が自殺で亡くなられた。感染症への恐怖もあるが、経済も命なのだ。話されていた言葉一つ一つが説得力のあるもので、終わりの見えない感染症流行の中で、これからの一歩一歩その先を安心して歩けるような気がした。

春の陽気が夏の日差しに変わったことは、会社に通えるようになった初日から感じ始めていた。それより前から夏は始まっていたのかもしれない。緊急事態宣言が、京都・大阪でも解除され、新しい生活がスタートすると思うと、感染への恐怖のひと回りもふた回りも大きな希望が胸の奥でうずうずしていた。それでも「気は緩ませず」らしい。

200520

母が仕事の帰りにチーズケーキを2つ買ってきてくれたらしい。何か映画を観ながら食べることになった。あまり重たくないようなアニメ映画を観たいという希望をもらったので、Amazonプライムビデオのページをゆっくりスクロールしていった。言の葉の庭は観たし、何にしようかとさらに下へ進めていくと秒速5センチメートルを見つけた。13年前の2007年に作られた新海誠監督の映画だ。少し気になっていた作品だったので、予告編を見てから、これにしようと母と決めた。

部屋の電気をオレンジの小さい灯りにして再生した。映画が始まり、チーズケーキの周りのフィルムをはがして一口食べた。ふわっふわでチーズの酸っぱさも相まって甘すぎず、口の中ですぐに消えてしまった。おいしいと声に出さずにはいられなかった。

3つの短編の物語に分かれていたが、主人公の少年の成長を軸に繋がっていた。1つ目は小学生から中1の頃の話。2つ目は高校生の頃で、3つ目は社会人になってからの話だった。ハッピーエンドとは言えなかったと思う。でもバッドエンドとも言いきれない。その先を良いようにつけ足したくなるような、何通りにも続きが見えてきそうな、そんな終わり方だった。文字通り、青春と呼ばれるはっきりしないものの青さを感じ、自分の過去を振り返りたくなった。

この映画を見て、確かに青春を感じたし、自分にも青春をした!と言い切れるような恋愛があったか考えた。「僕たちの前にはいまだ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間が、どうしようもなく横たわっていた」という最初の物語でのセリフがとても印象に残っている。まだまだその先なにが起こるか分からないし、何も知らないからてきとうにするなんて難しくてできなかった。ただその後を予想して考えるよりも先に、気持ちのまま行動に出ていた。だからこそ起きてしまう失敗や後悔も、その頃はものすごく大きくて黒かった。この恋がわたしの全てで、この先も続いていくんだと確信していた分、失ったときの絶望は信じがたいものだった。時間が解決してくれるという言葉の意味がまるで分からなかった。時間がたっても、燃え続けるろうそくの火は揺れながら熱をもって確かに私の中で長居し続けていた。薄くなる酸素によって消えかけた時が何度もあったけど、その大きな何かで遮り守られてしまうことが憎かった。やがてろうが溶けてしまい無くなることを願いながら大事に守っていたのは私自身だったのかもしれない。ある日突然吹いてきた風が、自分でも気づかない間にろうそくごと追いやってくれていた。この先もずっと続いていく人生、何があるか分からないと思った。まだまだ青春も終わっていないのかもしれない、と子どもでもなく大人とも言い切れない24歳になる手前で考えている自分が少しむずがゆかった。

お風呂に入り、髪の毛を乾かしながら、久しぶりに過去を振り返って青春を思い出していた。あの人や、あの時毎日のように顔を合わせよく遊んだ友達が今頃何をしているのか気になったりもした。確かにあの頃、青春というはっきりとしないものの真ん中にいたことを何年も経ってから違うところで振り返っていた。

ハッピーもバッドもつけない終わり方の映画はいいなと改めて思った。

200515

連日のすっきりと晴れきっていた青空を遮るように、薄いグレーの雲が全体を覆っていた。カーテンを開けて部屋を出て、リビングに降りる。ひんやりとしていた。

やかんに水を入れて火をつけ沸騰するのを待つ。いつものオレンジ色のマグカップを出して、ドリップコーヒーをセットした。いいにおいが広がっていく中、今日は何をしようかと考え、読んでいる途中の又吉さんの東京百景という本を読むことに決めた。

東京百景には、又吉さんが東京に越してきてから見てきた風景や体験談が本当に100個書かれている。好きな作家さんの本を読み始めると、はじめの1ページ目からその作家さんの語り口調に引き込まれ、胸の内側をぐぅーっと押されて息が詰まる感じがする。これから始まる又吉さんの世界に期待が高まり、早く読みたいという気持ちに読むスピードがついていけていない。スタート地点で足踏みしているような、夢の中で思うように足が動かず速く走れない感覚と似ていた。以前読んだ又吉さんの作品で出てきた話が、本人の実体験をもとに書かれたエピソードと知った時は興奮したし、シュールな体験が又吉さんらしいユーモアで書かれていて本を抱きしめたくなった。

夕方、徒歩5分の祖母の家に行く時間になったので、部屋着のショートパンツからスラックスに履き替えた。ショーツを下ろし、足先で蹴り上げて両手でキャッチした。今にも雨が降り出しそうな天気が一日中続いている。肌寒かったので、スラックスの生地が素肌にあたる感触があったかくて気持ちがいい。半分ほど残っていた2杯目のコーヒーを勿体ないと思い、多めに一口飲んだが、冷え切っていたし、急いで飲むのも流してしまうのも変わりがない気がしてシンクに捨ててしまった。

最近いい天気の日が続いていたので、薄暗い夕方を懐かしく感じた。薄暗いといっても5月の4時過ぎなので、太陽が薄い雲に遮られている程度の明るさだ。両側に田んぼが広がる道を歩きながら、一面に覆われている雲を確認するように空を見上げてみた。この空気感のせいか、音がよく響いている気がした。周りの音がやけに耳に入る。マンホールの下を通る水の音や、田んぼを耕す機会の音、工事現場の音、子供たちの遊ぶ声、靴が地面を蹴る音。

さっきから気づかないふりをしていたが、靴の中に小石が入っている。それが、足の下に潜り込むたびに刺さって痛い。雨が降る前に祖母の家に到着できた。